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2015年5月17日 (日)

慮る

 「慮る」は「おもんばかる」と濁音ではなく、半濁音の「おもんぱかる」と読むのだという。数日前、水責めされたラットを仲間のラットが助けるという実験結果のニュースで、アナウンサーが「ラットでも隣人をおもんぱかるのですね」と解説していたので、「ば」だと思っていた私の間違いが分かった。更に調べてみると、「ば」も「ぱ」もどちらも辞書には載っているが、「ぱ」と最近は用いるのだという。時と共に言葉も変わっていくということであろうか。
20150517 ところで、実験の内容を記せば、右の図のようになる。(5月16日毎日新聞より)一緒に二週間生活したラットを、ドア付の二部屋に入れる。ドアは水がない方の部屋からしか開かないようにしラットが助けるためにドアを開ける時間を計測した。すると何度も重ねると、ドアを開けるまでの時間が短縮していき、水を張らない時にはドアを開けなかったという」実験結果を得たという。そのことから「ラットにも仲間を助ける援助行為があり、何度も繰り返すと助けるという動機が強まる」ということが分かるというのである。その時の発言が冒頭に述べた言葉であったが、「慮る」と言う言葉はこのような場面で使うものだったかナァという疑問も同時に湧いてきた。「よくよく考える。思い巡らす。」(広辞苑・デジタル大辞泉等)「何かを実行するときに、周囲との関係や将来への影響など、あらゆるケースを考え合わせる。」(日本語表現インフォより)つまり自分のことよりも相手の事に思いを馳せ、何をしたらよいかを考え行動するというような意味になるだろう。ラットの援助行為にそこまでの深い考えがあったとは思えないが、逆にラットですら窮地に陥っている仲間に心を寄せるといえなくもない。
 野の鳥、野の花を神は装ってくださると示しつつ、「まして、あなたがたにはなおさらのことではないか」とイエスは言われた。(マタイ6:25~34)私たちの周りには、神のご配慮、即ち神の慮りで満ち溢れているのだ。初夏のこの時期、美しい新緑に神の慮りを感じたいものだ。

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