« 時間が掛かる | トップページ | 心は込めない、でも大事! »

2015年5月31日 (日)

新しく生まれる

(ヨハネ3:1-12,ローマ8:14-17,イザヤ6:1-8)

ある夜、イエスのもとにやって来た人がいた。彼の名前はニコデモ。ユダヤ人たちの中で70人しかいない議員の一人であった。彼はまたファリサイ派の一員でもあった。ファリサイ派の人々は、国中では最上流の人々であった。入団に際しては、全生涯を律法のすみずみまで守ることを3人の証人の前で誓うことが必要とされ、6千人弱のグループであった。律法には全てが表されているとはいえ、実際にそれを守るには、更に詳細な決まりごとが必要であった。その結果、律法が本来意図していることよりも、律法の求める行為行動を守ることが重要になってしまったのである。
ところで、宮浄めの行為が2章に記されている。つまり体制の側に居るニコデモには、イエスの宮浄めは犯罪に匹敵する行為であり、断罪されるべきことと映っていたはずである。なのに彼はイエスの許に、しかも夜にひとりでやってきた。イエスを咎めるでもなく、捕えるためでもなく、むしろイエスに教えを乞うためにきているのである。彼は心底ファリサイ派の人間として生きようとしたからこその学ぶためにイエスの許に来たと思えるのである、夜になれば多くの人に邪魔されずに、イエスに教えを乞えると。
ニコデモにイエスは「新たに生まれなければ神の国をみることが出来ない。」と言われる。大切なことは奇蹟やしるしを見るのではなく、新たに生まれることだと言われたのである。だがニコデモは「新たに」ということを「もう一度」と受け止めている。だから、母の胎からもう一度生まれることはできないと答えたのである。
20150531
母の胎から生まれ変わることはできないが、ニコデモの立場を思うと、イエスの許に来たということ事態が、まさに新しく生まれ変わるという出来事ではなかったか。議員としてあるいはファリサイ派の一員という立場を超えてきたのだから、彼の中にまさに「新しく生まれ変わる」という出来事が始っているのである。だから彼は、十字架で死んだイエスの葬りに際しても、没薬と乳香を百リトラ(32㎏)もの捧げものをしたのである。
母の胎からもう一度生まれることはできないが、私たちは洗礼という生まれ変わりの時が備えられている。聞く耳のある者に、神を求める者に新しく生まれ変わる道を備えてくださっているのである。新しい命をいただいていることに感謝しつつ、与えられた場所で元気を出していきましょう

« 時間が掛かる | トップページ | 心は込めない、でも大事! »

説教要旨」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 時間が掛かる | トップページ | 心は込めない、でも大事! »