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2015年5月10日 (日)

あなたは私の友

(ヨハネ15:11-17,使徒11:19-30,1ヨハネ4:1-12)
 ヨハネによる福音書の12 章以後は受難直前の出来事であり、14 章で最後の晩餐の様子が描かれ、その後は18 章に続いている。15 章から17 章はイエスの最後の説教であり「決別説教」と言われていおり、イエスの遺言と解することができる。その中心となるのが今日の日課の箇所であり、「互いに愛し合いなさい。」これが、イエスのご意志と受け止めてよいだろう。そして愛し合うことは喜びをもたらす。独りよがりな喜びではなく、共に生きる事の喜びと言って良いだろう。
 共にいるということを、キリストは「私はあなた方を友と呼ぶ」と表現してくださっている。改めてこの言葉を私たちは心に刻みたいし、私たちも主を「友」と呼べる喜びが与えられているといえる。
 震災の時、アメリカから兵士たちがやってきて、被災地に入り、被災者と友だちになろうと、被災者の苦しみを受け止め、復興のための礎を築いてくれた。
 彼らはそれを「友だち作戦」と呼んだ。その国に、「友だちになる」ということを伝えに我が国のトップが出かけていったが、武器を行使しない平和を築いてきた道ではなく、その国のやり方に隷属するという道をもって友だちになろうと演説してきた。それは国民も国会も無視した、独りよがりの演説であった。友だちとは盲目的に従うのではなく、平和のために我が国の行ってきた戦争の放棄が平和への道だと語ることが友だちなのではないか。
20150510 イエスは弟子たちを友と言われ、その友のために命を捨てると言われる。もちろん、この言葉を聞いたわたしたちも、イエスの友であり、私のために命を捨ててくださったのだということにほかならない。それ故、教会に掲げられる十字架、私たちの教会の聖壇の十字架、これは「あなたは私の友」、というしるしであり、友であるあなたのために命を捨てる愛を示してくださったということにほかならない。その上で、互いに愛し合いなさいといわれるのである。愛する喜びと、忘れてならないのは、愛されている喜びでがそこにあるのである。
 日々の歩みの中で、思い出して欲しい、神が「あなたは私の友」と語ってくださっていることを。神の平安があるように。

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