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2015年5月31日 (日)

時間が掛かる

 「桃栗三年、柿八年」。果樹を植えたら実がなるまでに相応の年月がかかるということから、何事も成し遂げるまでには相応の年月が必要だというたとえである。(故事ことわざ辞典より)
 このことわざには続きがある。「柚子は九年の花盛り」、「梅は酸(す)い酸(す)い十三年」、「ナシの馬鹿めは十八年」などなどいろいろあり、果樹と年月の組み合わせも様々である。また教会の庭には枇杷があるが、「枇杷は九年でなりかねる」とか、「枇杷は早くて十三年」というものもある。桃や栗は約3年、柿は6~7年で結実するようだからことわざは大体合っているといえるものの、柚子や梅などはもっと早く結実するし、枇杷も6~7年で結実するのが普通らしいから、植生を正しく伝えることよりも、果樹も人も物事も、育てることや成し遂げることには長い時間が掛かるものだと言いたいのだろう。
 「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。そこで、園丁に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。』園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」(ルカ13:6~9)園丁の姿にイエスの姿を重ねて読まれる箇所である。では翌年になっても実が生らなかったらどうしただろう。園丁は翌年に生らなくても「もう一年待ってください」と懇願したのではないかと思う。環境も違うし、何より植物が成長するのには時間が掛かるということを、園丁こそが最も理解していただろうからである。それよりも何よりも、手塩に掛けてきたいちじくの木を「あなたを捨てない」と言ってくれるのではないかと思うのである。
 教会の枇杷の木、Aさんに頂いて15年。「いつ実を結ぶのか」と眺め続けてきたが、ついに今年、沢山の実を付けた。「教会の枇杷は待たされ十六年」と「市川教会ことわざ辞典」にでも書いておこうかナ。アッ、食べ頃は来週くらいかと!?

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