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2015年5月17日 (日)

守ってくださる方

(ルカ24:44-53,使徒1:15-26,1ヨハネ4:13-21)
 今年1月30日に死去されたドイツのワイツゼッカー大統領が、第2次世界大戦終了40周年の1985年5月、「荒野の40年」と題した議会演説で「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目になる」と訴え、ナチス・ドイツによる犯罪を「ドイツ人全員が負う責任」だと強調した。歴史を直視するよう国民に促したこの言葉は、1990年の東西ドイツ統一後もドイツの戦争責任を語る際の規範となった。もちろんドイツだけではない。全世界で、いつの時代になっても共有すべき言葉だと思う。
 聖書でも「旧約から新約へ、律法から福音へ」と表現をすることがある。旧約や律法は無くなり、新約と福音の時代になったというのでもない。新約は旧約と連続したものであり、律法があってこそ福音ということにほかならず、互いに欠かすことのできない連続したものにほかならない。
 今日の日課であるルカ福音書は、福音は「旧約の時代から神が計画し成してこられたこと」との連続であると繰り返し強調する。キリストの誕生の次第において、旧約からの神のご計画の成就だと強調しているし、復活の出来事も世界への宣教(伝道)も神のご計画だったとルカは語っているのである。
 しかし、そのような神のご計画を意識できるのは、弟子自らの力ではない。復活のイエスが「彼らの心の目を開いて」くださることによって理解できたのである。逆に言えば、彼らのみでは理解できなかったということである。それは①苦しみ死んだ方が救い主という考えを受け入れられなかった(十字架の救いは人の力では受け入れ難い)ということ、②非ユダヤ人を差別せずに仲間に加える(すべての民を平等に受け入れる事の難しさ)ということである。弟子たちとてそれを直ちに理解できたのではなく、イエスに心を開かれ、聖霊によって繰り返し語り掛けられなければならなかった。
 ところで聖霊についてヨハネは「教会に与えられキリストが臨在し続けることであり、導き、示し、教え、慰める存在」と語り、パウロは「我々の内にあって、キリスト者としての生活を営むようにさせる存在」と言い、ルカは「教会を世界への宣教のために力づける存在」であると伝えている。
20150517_2 昇天の出来事によりイエスの顕現が終わりを告げ、祝福をいただきつつ弟子たちは希望を抱いてエルサレムへ、神殿へと帰って行ったが、そこにおいて神は聖霊を送る約束をしてくださっており、聖霊は「未来に対して何か驚くべき素敵なことを神が起こしてくださる」と弟子たちに、そして私たちに期待させる力になるのである。

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