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2015年4月26日 (日)

イスラエルの民

 今年のミスユニバース日本代表は長崎県出身の宮本エリアナさんに決まった。彼女の父はアフリカ系アメリカ人、母は日本人、所謂、ハーフの方であるが、日本国籍を有する日本人である。ところが彼女が日本代表に選ばれたことに対して、「日本人らしく見えない」、「ハーフは100%日本人とはいえない。ミス日本は両親が日本人でなければ」などと批判する声も上がっているという。私自身も選考の時の映像をみて「彼女が日本代表?」と思ってしまった。だが、即座に思ったのは、「では日本人って何?」という疑問であった。いつのまにか体の特徴で「日本人」と考えていないか、言葉や行動の仕方等々で「日本人」を決めつけていないかと、次第に思えてきた。それは日本人=日本民族という固定観念でしかなく、アイヌの人々や沖縄の人々を排除する思想ではないかと気付かされてもいる。
 「今、私は主の救いをみました。(中略)異邦人の心を開くひかり、み民イスラエルの栄光です。」これ礼拝式の最後の派遣の部の冒頭で歌われる「ヌンク ディミティス」である。これはシメオンの賛歌といわれており、ルカ2章29~32節の言葉である。シメオンが両親に抱かれて神殿に来たイエスを見た時に、遂にメシア(救い)を見たので去ることができると歌ったのである。だから礼拝の終わりに私たちも救いを見たと讃美しつつ派遣されるのにふさわしと思うのだが、「異邦人・イスラエル」という言葉に対して「日本人である我々には馴染まない」と言う意見があった。これまでは「聖書にある言葉を忠実に用いる事が大事」という意見を尊重してきたが、それだけなく「異邦人・イスラエル」という言葉は、単に民族的なことではなく、信仰の共同体ということにほかならない。何よりも、私たちの中にある偏狭な民族主義への挑戦として、私は「み民イスラエル」という言葉があるのではないかと思えるようになった。
 前述した彼女は「学校ではごみを投げ付けられたり、差別的な言葉を吐かれたりしました」とこれまでの経験を語りつつも、「批判を受ける分だけさらに努力を重ね、ハーフでも日本を代表できることを世界中に知らせたい」と胸を張って語っている。彼女を日本人と素直に受け入れる私でありたい。

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