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2015年4月12日 (日)

大失敗賞

 大失敗し会社に損害を与えた社員に賞を挙げる会社の話。「機械部品製造業のある会社では、最も顕著な功績を挙げた社員に贈る『社長賞』とともに、『大失敗賞』を設けている。『大失敗賞』は大きな失敗をした社員に与えられる賞。もちろん副賞もつく、金一封1万円。その選考基準は、何か新しいことに挑戦した上での失敗であること。その失敗によって会社に幾ばくかの損失を与えたとしても、『会社は失敗を乗り越えるノウハウを得たことになり、今後の事業展開にとってプラスになる』との価値判断がこの賞のカゲにある。『この制度のおかげで失敗を恐れず、挑戦する社風につながっている』と社員は話している。授賞式の際に社長は『これでチャラだからな』などと声をかけてその場を笑い飛ばすなど、社員の性格や失敗の内容を考えながら、失敗を引きずらないように気をつけている。」(HP:mnsニュース)
 度量の大きな社長に、社員もノビノビと仕事できるのではないかと思える。私なりに思うのだが、社長の発想の根底にあるのは「人は失敗する存在である」ということではないだろうか。成功する事や完璧・完全であることを求める私たちがいる。「一番になりたい、一番でなければいけない」という競争社会に生きてもいる。しかし失敗の積み重ねが成功を導くのであり、過ちがあって人は成長するものでもある。失敗や過ちを受け入れる(許す)ことがなければ、委縮した社会にしかならないし、悔いのみの人生になってしまう。利益を追求するのが会社組織であるとはいえ、失敗を受け入れる(許す)ことでプラスになるという発想は大切だと思える。
 イエスはキリスト者として歩もうとする者に次のように言われる。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(ルカ9:23)自分が背負わなければならないもの(十字架)から逃げないで生きることだが、ルカには「日々」という言葉が付加されている。マタイの「その日の苦労は、その日だけで十分である」(6:34)という聖句が思い浮かぶ。そう、その日に背負ったものを主は許してくださり、翌日はまた新しい十字架を背負うということ。「換言すれば、悔い改める私たちに主が「大失敗賞」をくださるようなものだ」と、イースターという出来事が教えてくれている。

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