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2015年4月 5日 (日)

イースターの朝

(ヨハネ20:1-18,1コリ15:21-28,イザヤ25:6-9)
 イースターの朝の出来事は、四つの福音書に記されている。それぞれに少しずつ違っているが、先ず婦人たちがイエスの墓に行ったということは共通している。今日の日課のヨハネでは、婦人たちが墓に行くが、天使にもイエスにも会わず、石が取り除けられた墓を見るものの、遺体を見つけることはできなかった。婦人たちのその報告を聞いて、ペトロともう一人の弟子が墓に行く。しかも、もう一人の弟子の方が先に墓に行ったと丁寧に記されている。このもう一人の弟子には、「イエスが愛しておられた」とわざわざ書いてある。最初に弟子になったペトロたちにはイエスが愛しておられたペトロなどという表現はないのに、もう一人の弟子は名前すら書かかれていないのにイエスの愛しておられた弟子だというのである。ペトロよりも早く、墓に行った弟子、一体彼は誰なのだろう。
 ヨハネ福音書に「もう一人の弟子」「愛する弟子」と言われる人物は、1章でヤコブの兄弟アンデレと一緒に歩いている人物であり、ヨハネ福音書の最初から登場するのである、その上「もう一人の弟子」は最後の晩餐の席にもおり(13:23)、裏切者がだれかをイエスに尋ねている。ヨハネ福音書が彼のことを殊更に取り上げるのは何故であろうか。18:15節以下では、もう一人の弟子はペトロと一緒にいて、大祭司の中庭にはペトロは入れなかったが彼は入れたとある。大祭司と知り合いだったからである。ガリラヤ出身の漁師が大祭司と同一とは考えられない。彼は恐らく使徒言行録15;37の「マルコとよばれるヨハネ」であり、マルコによる福音書の著者であったと考えられる。マルコの家は、祭司の家系で、門のある大きな家であり、最後の晩餐の家であり、ペンテコステの前に弟子たちが集まって祈っていた家であったと言われてもいる。また彼はパウロやペトロの伝道にも連れて行かれたほどであったのは、弟子たちよりも若く、しかも「イエスが愛しておられた」からであっただろう。
20150405 しかしもう一人の弟子マルコは、イエスが捕えられるのを見て、亜麻布を脱ぎ捨てて家に逃げ帰った。(マルコ14:51 )ペトロ同様に、彼も主を見捨ててしまったという悔いが、墓へと向かわせたのではないだろうか。その彼のもとに主は来てくださる。だからこそ、私たちが恐れ、苦悩し、孤独を憶え、死の恐怖襲われる時にも、神は私たちと共におられ、復活の命へと伴ってくださることを、イースターの朝に心にしっかり刻みたい。

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