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2015年3月22日 (日)

ことば

 元々はキリスト教に関する用語であったが日本でも一般に用いられているという言葉は沢山ある、「クリスマス」や「イースター」といったものから、「バレンタインディ」、「三位一体」、「目からうろこ」等々。日常に馴染み、また日本風に変化してしまったものもあるが、だからといって教会は声高に「本来の意味は○〇ということだ」と主張することはない。個人的にも、普通に用いられることを肯定的かつ積極的に薦めたいとすら感じている。キリスト教に触れるチャンスだからだ。本来の意味を教会としては大切にしつつも、一般に流布された意味合いも広く受け止めて良いということである。
 「教育勅語」と「八紘一宇」、神学生の頃、私たちに教義学を教えてくださった石居正巳先生が、明治以降の日本を左右した二つの言葉として教えてくださった。前者によって神道を国家宗教とし国民統制を強めていく支柱となった。後者によって、日本は隣国や東南アジアを侵略し植民地支配を正当化していった。二つの言葉が語られ始めると、「同じ過ちを繰り返してはならない」と石居先生の囁く声が耳元に聞こえてくる気がする。
 「八紘一宇」、亡霊でも出てきたのかと一瞬ギョッとさせられたが、この言葉が堂々と国会の審議の中で一人の議員から発せられた。「『八紘一宇とは世界が一家族のようにむつみ合うこと』だとし、グローバル経済の中で日本がどう振る舞うべきかは『八紘一宇という根本原理の中に示されている』と語った。」(朝日新聞3月19日記事より)大辞泉には「《神武紀の『八紘をおほひて宇(いへ)とせむ』から》全世界を一つの家にすること。第二次大戦期、日本が海外侵略を正当化する標語として用いた。」と記されてあり、戦後のGHQにより禁止用語とされた言葉である。日本の負の面を内在する言葉であるにもかかわらず、それを無視して「良い言葉だ」とはなるまい。まして、侵略され苦しみを負わされた人々には、そのような勝手な理由は通じまい。自分の都合に合わせて言葉を用いるのではなく、言葉が帯びている様々な意味に身を委ねるような気持ちで言葉を用いていきたいものだ。

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