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2015年3月 8日 (日)

大切なもの

(ヨハネ2:13-22,ローマ10:14-21,出エジプト20:1-17)
 イエスの十字架と復活の出来事は「新しいこと」であった。しかし、新しいことを理解し受け入れることは容易ではない。弟子たちは「偉くなること」を望んだし、民衆もイエスにこの世的な王になることを望み、権力者(指導者たち)はイエスを理解しないばかりか自分たちを脅かす存在として敵視した。その結果、弟子たちがイエスが指し示した新しさを受け入れるのは、十字架と復活の出来事が起こってからであったし、ローマの国が受け入れるのに200年以上もかかったのである。
 十字架と復活の出来事を、「新しい出来事」としてとらえ、強調しているのがヨハネ福音書であるが、他の福音書との違いをみると、それが良く分かる。
 日課は「宮浄め」と言われている箇所である。犠牲のための動物の購入や献金のための貨幣の両替は、神殿の礼拝には不可欠な行為と思われていた。それをイエスは妨害したのである。
 ヨハネはこの出来事を、活動の最後ではなく、一番最初にもってきている。この出来事の前には、カナの婚礼の出来事があるだけである。そこで行われた水をぶどう酒にかえるという奇蹟は、古いものが新しいものに変わるというしるしを示されたということにほかならない。そして神殿もまさにそうなのであると言われている。それがヨハネだけが記している「三日で神殿を建てなおす」という言葉から理解される。
 三日で建て直される神殿、「死んで三日目に復活するイエスの体」であり、イエスこそが神殿なのだと言われているのである。
20150308 また、「わたしの父の家を商売の家としてはならない」(16節)と言われたが、その背景にはゼカリヤ書の結びにある「その日には、エルサレムとユダの鍋(なべ)もすべて万軍の主に聖別されたものとなり、いけにえをささげようとする者は皆やって来て、それを取り、それで肉を煮るその日には、万軍の主の神殿にもはや商人はいなくなる」(14章21節)という言葉が用いられている。「その日」は救いの完成の日であるが、前半にある「鍋」は日常生活の象徴であり、その日には、日常生活のすべてが聖化されるので、もはやエルサレムの神殿で行なわれるいけにえの儀式は不必要になるといわれているのである。、だからいけにえの動物を売る商人もいなくなると言っているのである。つまりイエスによって始まった新しい時代の特徴があり、日々の生活の中でイエスへの思いを深めることこそ、新しい礼拝なのである。

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