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2015年3月 1日 (日)

春本番

 春一番とは気象庁の定義によれば、「立春から春分までの間に南より風が8メートル以上吹き、最高気温が前日よりかなり高くなった場合」なのだという。もともとは漁師たちが用いていた言葉で、安政6年(1859年)3月17日、長崎県五島沖に出た漁師53名が春の強風に遭い、全員が遭難してしまったという史実から、春に初めて吹く強い風を「春一」とか「春一番」と呼ぶようになり、気象用語にもなったのだという。その後の強い風が吹くと春分の日までは春二番、春三番と呼ばれ、春分の日の後は春本番となる。ともあれ、「春一番」という言葉を聞くと、「もう直ぐ春だ」という気持ちになるし、「春本番」という言葉が語られると、全身が春の喜びにつつまれ、ワクワクするような思いになるものだ。ただし、花粉症で苦しまれている方は春一番も春本番も聞きたくない言葉かもしれないが・・・。
 教会暦では現在「四旬節」と呼ばれる時を過ごしている。以前は「受難節」と呼んでいた。受難節を使用しなくなった理由は、他教派と統一するということもあるが、復活日前の一週間をルーテル教会では受難週として守るので、混同されないようにという配慮からでもあったと記憶している。個人的なことを言えば、以前の呼び方「受難節・・」の方が好きである。だが四旬節という呼称に統一すると決められたので仕方ないが、私の中には今も受難節は春一番の季節、春を心待ちにしながら主のご受難を覚える季節と刻み込まれているので、四旬節という言葉に春のイメージを重ねられないでいる。その結果、春を待つ時を過ごさずにいきなり復活日(春本番)になるように感じてしまう。もちろん、それは大した問題ではない、私だけのことだから。
 旧約聖書にも「春」という言葉が出てくる。ただし、日本のように季節感あふれるものではなく、新年という意味合いが強い。更には、「年が改まり(口語訳『春になって』)、王たちが出陣する時期になった。」(サム下11:1)とあるように、降雨期が終わり、戦争を始める好時機とされることもあった。新約聖書には「春」という言葉は用いられていないけれども、「復活の喜び」は「春の喜び」に繋がり、春本番の喜びを通して、私たちは復活の喜びを経験するのである。今年も間もなく春本番を迎える。

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