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2015年3月29日 (日)

ぐぜり鳴き

 「ホーホケキョ」、ウグイスのさえずりが聞こえる。3月上旬に聞こえ始めた頃はあまり上手にさえずられないようで、「ホーキョキョキョ」などと聞こえていたが、ひと月もたった今では立派に「ホーホケキョ、ケキョケキョ」とさえずりが聞こえてくるようになった。今年、教会周辺で巣作りしたのは若鳥で、ひと月の練習で上手にさえずれるようになったようだと思っていた。若鳥は幼い頃に聞いた他のウグイスのさえずりを覚えておいて、次の年の春にそれを思い出しながらさえずりの練習をして上手くなっていくのだと聞いたからだ。ところが大人の鳥も春先は上手にさえずることができず、毎年練習するのだという。これを「ぐぜり鳴き」というらしい。(HP「四季の自然学習室:ウグイス」参照)ウグイスは大人になっても毎年初心に返って春を始めるという訳だが、人間にとっても大事なことに違いない。
 「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。わたしたちの罪を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。わたしたちを誘惑に遭わせないでください。』」(ルカ11:2~4)主が教えてくださった祈り、主の祈りである。「教会学校の子どもたちに教えること、覚えて欲しいことは主の祈りだ」と、神学生の頃にある牧師に教えていただいた。市川に来て、保育園の子どもたちに関わることになり、私が思い出したのはその言葉であった。主の祈りは毎週の礼拝で必ず唱えられる。幼児礼拝に集い始める三歳児も、数か月もすればそらんじてくれる。卒園までの3年間、聖書の話を沢山聞くことになるけれども、小学校に行けばその機会はなくなる。しかし、主の祈りの記憶だけはきっといつまでも残るに違いない。辛いことや苦しいことがあった時に、そらんじた主の祈りが口をついてくれたら嬉しいと思う。そう思うと、主の祈りをそらんじることは、信仰の初心に返るということである。礼拝の中で、日々の生活の中で主の祈りを唱えつつ、初心に返ろうではないか。
 市川に到着し、ウグイスのさえずりで目覚めた最初の朝。15年間、お支えくださった皆様に感謝。4月から初心に返って務めを果たしたい。

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