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2015年2月22日 (日)

運動神経と反射神経

 あるテレビの番組で「運動神経と反射神経、実際にあるのはどちらの神経か」とクイズが出された。運動神経があるから運動能力も発達するし、反射神経も膝を叩いて反応するかを診る「脚気(カッケ)検査」があったので、どちらも神経として存在すると思っていたのだが。正解は「運動神経はあるが反射神経は無い」である。
 神経は、体の組織や細胞の連絡を取り合うために体中に張り巡らされたネットワーク(末梢神経)と、そこから集まる情報が更に集められている脳と脊髄(中枢神経)とから成っている。どんな風に働くかというと、目や耳などからの情報が運動神経を通り脳で認識される。次に脳は認識した情報をもとに、指令(例えばボールを拾えとかコップをつかめ等)を脊髄から運動神経へと伝え体を動かすのである。末梢神経にはとてもデリケートな自律神経もあり、体の様々な症状も脳に情報として伝えている。過度なストレスや生活習慣の乱れで自律神経のバランスを崩し、様々な体調不良を引き起こしてしまうこともあるのである。
 一方、反射神経が起こしていると思っている動作は、体が自然に反応して起こるものである。例えば、目の前にいきなり何かが飛んでくると思わず目をつぶることや、熱いものを触るとサッと手を引いてしまうというような動作である。この動作は脳を通さず脊髄からすぐ命令が出ているのであり、反射神経というものがあるのではないという。つまりは、反射神経とは張り巡らされているものではないが、もともと人間に備わっている動きということである。
 人は「互いに愛し合う」存在である。聖書にもまた互いに愛し合うことの大切さが記されている。(ヨハネ13:35,1ヨハネ3:24等 )どこが違うのだろうか。「互いに愛し合う」という行為は、もともと人に備わっているもの、所謂「反射」という行為に近いのではないか。聖書はそこに「イエスが私たちに命じられたように」(1ヨハネ3:23)と付け加えている。まさにキリストという脳が運動神経を介して互いに愛し合うという行為をさせていると教えるのである。反射の愛は自分のための愛になりやすいが、命ぜられた(運動神経の)愛は他者のための愛となる。愛の運動神経を侵攻が鍛えてくれるように祈りたい。

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