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2015年1月 4日 (日)

 今年の干支は羊。羊は聖書では最も大切な動物として描かれている。エデンの園を追放された人間が最初に飼った動物が羊である。(創世記4:2)またイスラエルの民自身も羊に譬えられ、イスラエル(羊)を導く神は羊飼いの比喩で語られる。そして良い羊飼いと従順な羊こそが、神が求めておられる信仰共同体の姿なのだと、聖書は私たちに告げている。聖書に登場し、干支の中に羊が取り上げられているので、日常羊に触れることは殆どない私たちにも、羊は随分身近な動物のように思えるのだろう。
 草食動物の羊は、群れたがる性質があり、群れから引き離されると強いストレスを受ける。先導者に従う癖も、群れから引き離されないための行動であろう。また羊の聴力は優れており、水平に細い瞳孔で頭を動かさずに自分の背後を見ることができるような優れた周辺視野を持ち、群れを見失わないために与えられた能力と思わせられる。ところが奥行きはあまり知覚できないために、影や地面の窪みがあるとひるんでしまい、先に進まなくなることもあるという。そのような欠点は、群れることによって危険を察知し回避することに繋がっているのだろう。臆病で弱い羊が生きていくための術を神は与えてくださっておられるし、先導する者に従っていく羊の姿に、私たちはこれからも多くを学んでいくことだろう。
 羊についてもう一つ大切なことがある。羊は犠牲的役割を果たすシンボルであるということだ。創世記22章にイサクを捧げる出来事が記されている。焼き尽くす捧げものとしてイサクを屠ろうとするアブラハムに、神は彼の信仰の確かさを確信し、雄羊を焼き尽くすことでイサクの替わりとされた。出エジプトの時には、「10番目の災いとしてエジプトの全ての生き物の初子を殺す」と言われた神だが、傷のない一歳の雄羊の血を鴨居に塗ることで、その家は通り過ぎていかれた。即ち、主の過越しであり、救いの為に羊が犠牲として捧げられたことを意味している。キリストが来られた時ヨハネが「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1:29)と言ったのは、まさにキリストもイサクや出エジプトの時のようにご自身を犠牲として捧げる方だと指し示したのである。
 「神の小羊」に、いつにもまして心を馳せる年にしたい。

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