« シルエット | トップページ | 息をする »

2015年1月18日 (日)

時は満ちた

(マルコ1:14-20,1コリ7:29-31,エレ16:14-21,)
 今日の日課はイエスの宣教の始まりの出来事である。きっかけはヨハネが捕えられたことだと記されている。同じことについてマタイでは「イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた」(4:12)とあり、ヨハネの逮捕がイエスのガリラヤ行きの理由だったような印象があるが、マルコは「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き」と言っている。つまり、ハネの活動の時期とイエスの活動の時期をはっきり区別しようとしている。「準備の時は終わり、いよいよ神の救いが実現する時が来たのだ」と、大きな区切り、はっきりとした区切りである。
 その区切りがもたらすものはは良い知らせであり、良い知らせの中身は、「神の国は近づいた」ということである。神様が王として治められる国が、「近づいてもうここに来ている、ある意味で実現し始めている」という意味であり、救いのメッセージ「福音」にほかならない。
 では私たちはどのように応答するのか。「悔い改めて、福音を信じ」ることだと言われている。具体的な事として、4人の漁師の召しがある。20150118
 漁師は特に貧しく、身分の低い人ではなく、「無学な普通の人」(使徒言行録4:13)、つまり私たちと変わらない人々である。普通の人をイエスは弟子にしたのである。同じ出来事について、ルカはイエスの不思議な出来事(大漁)を見て彼らは従ったと考えているが、マルコは細かな説明もなく、「イエスに従うとはこういうことなのだ」と言おうとしている。私たちが先生を選ぶのではなく、イエスが、神が私たちを選び招かれるということにほかならない。
 4人の漁師は、イエスの神の国への招きに最初に応えた人であり、イエスのメッセージを自分のこととして真正面から受け止めた人である。その時、彼らの生き方が変わっていったように、私たちもイエスのメッセージに応えて生きようとしたとき、自分の周りで何かが変わり始めるのである。
 神の恵みで満たされた喜びに、皆様が包まれますように。


« シルエット | トップページ | 息をする »

説教要旨」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« シルエット | トップページ | 息をする »