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2015年1月25日 (日)

息をする

 スーパーの野菜売り場に、ビニール袋に一つひとつ丁寧に入れられた野菜が並ぶ。日本ならではの販売方法だと思うが、主眼はサービスではなくて品質管理、即ち野菜を新鮮な状態で保存し販売するためなのだという。
 野菜は収穫した後も呼吸をしている。呼吸をつづければ老化して腐敗していく。生きているのだからそれは当然のことである。腐敗を少しでも防ぐためには、野菜を冬眠させるのが一番だが、そのためにビニール袋が使われる。ビニール袋には目に見えないミクロの小さな穴が開けられ、袋の中の酸素濃度をコントロールすることで冬眠させられるという。密閉した方が良さそうな気がするが、そうすると必要な酸素は入ってこず、野菜が放出する二酸化炭素だけになってしまい、野菜は死んでしまう。適度な酸素と二酸化炭素にするために、ビニール袋の穴の大きさや数は野菜の種類や量によって微妙に異なる。だから、ほうれん草の袋に小松菜を入れても効果は無く、同じほうれん草用でも200g用に100gのほうれん草を入れても効果は余り期待できないし、それどころか逆効果にもなってしまうのだという。適度にあけられた微細な穴を使って呼吸をつづける野菜たち、そのおかげで収穫から数日たってもみずみずしい野菜を、私たちもいただけるということである。
 「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」(創世記2:7)ここで語られている息は、生命維持のための息というだけではない。「主は人を造って、体の真ん中に心を置き、それに霊と命と知性と全能の神の息吹を送り込まれた。」(エズラ16:62)とあるように、心で呼吸する息である。おそらくその息は、「愛」で成り立っている息に違いない。野菜が相応しいビニール袋で守られているように、神様は「愛という息」が途絶えないよう一人ひとりに相応しい恵みを与え、私たちが安心して「愛という息」を吐くことが出来るようにしてくださっている。
 ビニール袋入り野菜を購入したら、次からは同じ袋に入れておき、冷蔵庫を開ける度に「元気かい?」と声でも掛けてあげようかな。

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